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大阪地方裁判所 昭和53年(わ)2732号 判決

主文

被告人を免訴する。

理由

(公訴事実の要旨)

本件公訴事実の要旨は

被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和四六年一一月五日午後八時五〇分ころ、普通乗用自動車を運転し、大阪市天王寺区玉造本町三番地先道路を南から北へ向かい時速約七〇キロメートルで進行中、自動車運転者としては、前方及び左右を注視し、横断歩道の有無等を確かめ進路の安全を確認して進行し、もって事故発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、左後方から進行してくる車両や対向車の前照灯の光に注意を奪われ、前方注視を尽さないで進行した過失により、前方に横断歩道が設けられていることに気づかず同横断歩道を東から西へ向かい歩行中の郷原そよ子(当時六三歳)を前方約二二・二メートルにようやく発見し、急制動措置を講じたが及ばず、同女に自車前部を衝突させて同女を路上に転倒せしめ、よって同女に加療約三ヶ月間を要する左下腿開放性骨折等の傷害を負わせたものである。

というのである。

(当事者双方の主張)

本件「犯罪行為」が終った時から、本件が起訴された昭和五三年六月二七日までの間には約六年七月余の期間が経過しているが、検察官は、本件は先に昭和四七年二月一〇日大阪地方裁判所に対し起訴され、昭和五三年六月一五日、同裁判所において、起訴状謄本が右起訴の日から二ヶ月以内に被告人に送達されていないとの理由により右公訴を棄却するとの決定がなされ、右決定は同月二〇日に確定したから、この間公訴時効の進行は停止しており、本件の時効はいまだ完成していないと主張し、弁護人は、右公訴棄却決定が確定したことにより先の公訴の提起はさかのぼってその効力を失ったのであり、従って時効の停止もなかったものとみなされることになるから、本件は起訴当時既に五年の期間を経過していて時効が完成している旨主張する。

(当裁判所の判断)

本件が一旦昭和四七年二月一〇日に大阪地方裁判所に対し起訴されながら、その起訴状謄本が二ヶ月以内に被告人に送達されず、しかも、その公訴棄却決定がなされるまで右起訴後六年四月余もの日時が経過するに至ったのは、つぎのようないきさつによるものである(以下の事実認定は、本件記録上顕著な事実のほかは後記の各証拠による)。

被告人は、本件事故当時タクシーの運転手をしていたもので、本件事故もタクシーに乗務中のものである。被告人は、この当時、大阪市住吉区内のアパートに単身で居住していたが、かねてから、届出住所は大阪市浪速区日本橋東五丁目一二番三号の両親方にしたままでいた。これは、被告人の場合大阪市内を離れることはなく、両親方とはいつでも相互に連絡がとれるし、アパートを移転する度に転居届を出していては運転免許証の住所変更もその度にせねばならず面倒であるだけだからという。そこで、本件事故について捜査機関から取調を受けた際にも、住所として右の届出住所を告げた。さて、被告人によれば、検察官による取調終了後、求められて略式手続によることについて異議がない旨記載された書面に署名したという。これは、起訴をするか、略式命令を請求するか、なお検討すべき事情があったため、検察官において一応入手しておいたものと思われる。しかし、被告人は、そのため(事故の態様・結果や、被害弁償は勤務先のタクシー会社において滞りなく果たしてくれるという安心感も合わさってのことと思われるが)、罰金ですむと早合点し、折りから失職して金も乏しかったところから、右届出住所地の父のもとを訪れ、いずれなにがしかの罰金を払えとの通知が来るから、その時は父の方で替って支払ってもらえないかと頼んだ。実父は、その住居において文具書籍商を営んでいたが、二、三年前に被告人の弟に代を譲って隠居し、同人には嫁も取っていたため、これまでにもいろいろと事を起し、金の無心にも来たことのある被告人を疎ましく感じたものか、今度の罰金だけは払ってやるが、「一人前」になるまでは顔を出してはならんと申し渡したという。一方で、被告人は、親兄弟の反対を押し切って妻に娶った元水商売の女性が、その当時、他に男を作って蒸発していて、面目なくて親にもそのことを話せず、また、このあと同棲するようになった女性(現在の妻)がやはり水商売の者であったところから、なんとなく親元に顔向けできないような気持になり、以後およそ六年間、実家を訪れることも、電話連絡等をすることもなく過すこととなってしまったという。被告人は、父親に「罰金」の支払を頼んだ後間もなく、前記した現在の妻と同棲するようになったが、「前妻」との共同生活の跡を見せたくない心情から、同市内の別のアパートに新居を求めた。ところで、その後間もない昭和四七年二月一〇日、被告人は本件事故について大阪地方裁判所に起訴され、右起訴状の謄本と弁護人選任に関する通知書が同月一五日、被告人の「住所」である両親方へ郵便で送達されたが、実父において、これらの書類を異議なく受領したうえ、被告人名義で、「失業中」により国選弁護人の選任を請求する旨の回答書を大阪地方裁判所へ送り届けた。実父は被告人に知らせようとしたが、前記のように、その間に被告人が住吉区のアパートから既に転居しており、以後音信を絶ったため、連絡することができなかった。一方、裁判所は、公判期日を同年三月二七日と定め、その召喚状を郵送したが送達できないため、警察署、区長、検察庁に嘱託する等して被告人の所在調査を続けたが、被告人が前記のように両親方と連絡を取らず、また特に必要もないとの理由で住居届を両親方にしたままにしておいたため、長期間にわたり、被告人の所在をつかむことができなかった。ところが、被告人は、内妻との間に子供が生まれることになったため、昭和五三年三月初めころ、久方ぶりに実父方へ顔を出し、近く孫ができると報告をしたところ、実父から、裁判所から通知がきていたとか、検察庁から連絡があったとか聞かされ、直ちに裁判所へ出頭した結果、同年四月一三日に公判期日が開かれたが、結局、同年六月一五日に、起訴状謄本不送達を理由に公訴棄却決定がなされ、右決定は同月二〇日確定したが、同月二七日、本件が再び当裁判所に起訴されるに至ったものである。

(証拠の標目)《省略》

右に認定した経過に基づき、以下に検討をすすめる。

検察官は、前記のように、本件が先に昭和四七年二月一〇日に起訴されて以来、その後昭和五三年六月二〇日右公訴を棄却する決定が確定するまでの間、公訴時効の進行は停止していたと主張し、その論拠として、昭和二八年法律第一七二号による改正前の刑事訴訟法第二五四条第一項は、「時効は、当該事件についてした公訴の提起によってその進行を停止し、管轄違又は公訴棄却の裁判が確定した時からその進行を始める。但し、第二七一条第二項の規定により公訴の提起がその効力を失ったときは、この限りでない」と規定していたが、右法律による改正にあたり、刑事訴訟法第三三九条に一号を加え、第二七一条第二項の規定により公訴提起がその効力を失ったとき(公訴の提起があった日から二箇月以内に起訴状の謄本が送達されず、公訴の提起がさかのぼってその効力を失ったとき)は決定で公訴を棄却しなければならない旨の新規定を設けるとともに、前記第二五四条第一項から但書を削除したので、右改正の経過に鑑み、起訴状謄本不送達の場合も、時効は、公訴の提起によってその進行を停止し、公訴棄却の決定が確定した時から再び進行を始めることとなったと解すべきであると述べる。

右の検察官の見解は学界の多数説である。そして、右改正後間もない時期に、その立法過程に参画された団藤重光、横井大三、横川敏雄といった各氏が、符節を合するように、多数説の見解に立って右改正法を解説しておられる(団藤―法律時報二五巻九号、横井―法曹時報五巻八号、横川―最高裁判所事務総局発行刑事裁判資料第八九号)のをみると、立法者は多数説の方向で法改正を行ったとみるほかはないようにも思われる。ところで、右改正の際にも、刑事訴訟法第二七一条第二項の、「公訴提起があった日から二箇月以内に起訴状の謄本が送達されないときは、公訴の提起はさかのぼってその効力を失う」との規定はそのまま維持されたのであるが、右の遡及効が公訴時効の停止の関係では働かないとすれば、他のいかなる場合に機能するかについて、多数説は必ずしも説得力のある説明をなし得ていないように思われる。また、多数説は、起訴状謄本不送達の場合に公訴時効の停止を認めるのが実質的にみて正当ないし相当であるといえるかどうかについては、沈黙を守るか、または団藤教授のように、正当でないと明言される(前記法律時報誌上の解説及び新刑事訴訟法綱要三七八頁、三七九頁)かのいずれかである。思うに、多数説は、積極的に時効の停止を認めるべき実質上の理由もないにせよ時効の停止を認めてもさして不都合な事態が起らない以上(たしかに、起訴状謄本が法定期間内に送達できない大部分の場合は被告人が逃げ隠れしているためであろうから、そのような場合には刑事訴訟法第二五五条第一項によっても時効の進行は停止するのであって、被告人に対し格別の不利益を課すことにはならないし、そうでない場合にも、通常、公訴提起後二月と若干の期間内に公訴棄却決定がなされて確定するであろうから、被告人が受ける不利益も、時効期間との対比上たいしたことはないといえる)、立法経過から明らかな立法者の意思を尊重すべきであるというのであろう。

これに対し、学界の少数説は、刑事訴訟法第二七一条第二項の、「公訴の提起はさかのぼってその効力を失う」との規定は、時効の停止の関係上主として意義を持つ規定であり、公訴の提起によって、一旦(名目上は)公訴時効の進行が停止するが、後に起訴状謄本不送達による公訴棄却決定が確定すると、公訴提起がさかのぼって効力を失う結果、時効進行の停止もなかったものとなるというのである。そして、昭和二八年の改正にあたり第二五四条第一項から但書が削除されたことについては、従前は起訴状の謄本が二ヶ月以内に送達されないと何らの裁判なくして公訴の提起はさかのぼって失効するとの制度であったため、もし第二五四条第一項に但書を置いておかなければ、文言上(公訴の提起はあるのに公訴棄却の裁判もその裁判の確定ということもないので)同項本文により永遠に時効が停止するというような奇妙な解釈を導くおそれがあったが、第三三九条に一号を加え、起訴状謄本不送達の場合にも公訴棄却の決定をすることとした以上、第二五四条第一項の但書は、第二七一条第二項をそのまま維持する限り時効の停止を認めない立場からも、必ずしも必要でない規定となったから削除されるに至ったにすぎないと説明するのである(ちなみに、一般に公表されていない資料ではあるが、右改正に関する法制審議会の議事録や、改正後の同法に対する法務省の解説書によると、第二五四条第一項但書の削除等は、法制審議会の答申に基づいてなされたものであるというのであるが、その法制審議会の答申内容の骨子は、「公訴の提起のあった日から二箇月以内に起訴状の謄本が送達されないときは、公訴の提起はさかのぼってその効力を失うものとし、この場合には、裁判所は、決定で公訴を棄却しなければならないものとすること」というのであり、これを読むと、すくなくとも法制審議会は少数説の方向での法改正を志向していたように思えるのである。その後の改正作業の経過が明らかでないのでなんともいえないのであるが、果して立法者の意思が多数説の説く通りであったのかどうかいささか疑問なしとしない。上級審において究明されんことを期待する)。そして、少数説は、なんら逃げ隠れしていない被告人が起訴されたことを全く知らない間に時効停止の不利益をうけるような不当な事態を生じさせる多数説の立場はおかしいと強調するのである。

さて、本件の場合、先に認定した経過によれば、被告人は処罰を免れるべく起訴状謄本を受けとらないよう逃げ隠れしていたとはいえないし、起訴状謄本が適法に送達できなかったこと、にもかかわらず送達ができたかのようにみえる状況が長年にわたって継続したことについても、被告人側の個人的・家庭的事情や、被告人らが法に暗い一般市民であることを考えれば、あえて非難することはできないと思われる。一方、国の側についても、被告人の家族が異議なく起訴状謄本を受領しただけならまだしも、被告人名義の弁護人選任に関する回答書を作成して送り届けるような事態までは予測しがたいから、起訴状謄本は適法に送達できているものと長期間にわたり思い込んでいたことについて、強くとがめることはできないであろう。しかし、国の側は、被告人が所在不明となった経過について更に調査を尽していたならば、起訴状謄本が被告人にわたっていないことを早期につきとめ得る立場にはあった訳で、被告人名義の弁護人選任に関する回答書が届いたことに惑わされたにせよ、長期間にわたり起訴状謄本不送達の事実を見逃し続けたことにつき、客観的な意味においては、いささか怠慢があったというべきであろう。

要するに、本件のような場合、多数説の見解に従えば、被告人は逃げ隠れしていた訳ではなく、起訴されたことを全く知らないのに、公訴時効停止の不利益を受け、それも二月と少々の期間であればともかく、国の側の(客観的な意味における)怠慢により起訴状謄本不送達の事実の判明が遅れる等して公訴棄却決定とその確定までの期間がのびれば、その期間が何年間にわたろうとも、ことごとく時効が停止し、その不利益が被告人に及ぶという極めて不当な結論を承認せざるを得ないことになろう。

本件のような事案を前にして考えれば、本件の争点について、当裁判所は、前記した学界の少数説に従うのが正当であると思料せざるを得ない。そうすると、本件「犯罪行為」が終ったときから、本件が再度起訴されるまでの間には、既に五年の期間が経過して公訴の時効が完成していることがあきらかであるから、刑事訴訟法第三三七条第四号により、主文のとおり、被告人に対し免訴の言渡をする。

(裁判官 井垣康弘)

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